「矢作川源流の森を歩こう」体験記   


 第1回 寧比曽岳の東海自然歩道を歩こう   H21年5月13日(水)

 前夜の激しい雨が何とか止み、どんよりした曇り空の下、豊田市森林会館に集合。
受講生は25名。予定通り8時に出発。愛知県有林事務所足助業務課の方の案内で怒田沢(ぬたざわ)県有林へ。

 舗装道路からダートに。 山道でよく見かける「県有林につき関係者以外立ち入り禁止」の車止めチェーンを外し、マイクロバスではとても入れそうにもないような細い道を、時々窓に木々の枝をこすりながら進む。 この先Uターンできるのかしらと不安に思える頃、やっと到着する。

 県の担当者の説明では、面積900ha、ナゴヤドーム200個分ほどあり、江戸から明治時代までは採草地
だったそうだ。そのため目印となる木を数本を残して全山刈り取られていたとのこと。日露戦争の戦勝記念行事として、スギやヒノキの人工林に生まれ変わらせたという。

  従って100年を経過した人工林である。数年前まではおよそ2000立方メートルを木材として出荷していたが、 昨年あたりには1200立方メートル(約110軒の建材分)にまで落ち込んでいるらしい。
 今問題になっている炭酸ガス排出量は1人1年間で350キロカロリー、これは50年たった木材の35本分に相当することも知った。

       

 自然歩道に入り、「ブナ太郎」という名称の大木と対面する。講師の豊田市森林課、北岡氏が命名したそうで、ひとしきりブナの講義を聴く。
 
@日本海側にブナの原生林は多く存在し、その代表は白神山地だが、 A太平洋側のブナとはやや種類が異なる、 B拡大造林などにより愛知県にはブナの原生林は消滅し、わずかにこの周辺に残っているだけなこと、 C100年前からの気候変動でいずれこれらのブナは消滅する傾向にあること、D「ブナ太郎」は200年ほどの樹齢で数本の合体木であること、E昨年はブナの種子が大量にできたがほとんど発芽してないこと、 Fわずかに2・3年前に発芽し3〜5センチほどに育っている苗木として生き残っている木が2・3本あるだけ、Gそれも生長できるかどうかわからないこと、など厳しい状況も教えてもらった。
 
 また、ブナの実をリスやネズミが食べ、腹一杯になった後近くの切り株の陰などに保存しておくが、どこに隠したかわからなくなってしまった実が一斉に芽を出したのが生長して合体木になった、という大変おもしろい話も聞かせてもらった。

        

寧比曽岳頂上を目指して自然歩道を登る。寒いほどだった天候もやっと回復し、時折太陽も顔を見せる。手つかずの自然林とスギの人工林が登山道を挟んで見事に分かれている。歩き始めの人工林は適当に間伐されていて下草も豊かであったが、進むに従って次第に薄暗くなってくる。日が全く当たらないので下草さえ生えず急斜面の地面がむき出しになっている。当日は幸い雨は降らなかったが、一雨するだけで水は一気に流れ出し、土をも削り取っていくことが容易に想像できる。

 場所によっては間伐したばかりのところもあったが、それも登山道の周辺だけで、しかも伐り倒されたスギやヒノキがそのまま放置されている光景は心が痛む。50年前に豊かな材木を夢見て、ひたすら植林に励んだ人たちの苦労の結果がこれである。運び出す方が金がかかるという経済効率を考えれば放置せざるを得ないのだろうが、釈然としない思いが残る。

 明るい自然林に入ると、心からほっとする。太陽の光を受けて新緑の葉々が光っている。
講師から木の名前や特徴などいろいろ説明されたが、申し訳ないがほとんど頭に残っていない。時折立ち止まり葉をとって噛むようにいわれて口にすると、意外に甘い葉や酸っぱい葉、ミント味など楽しめた。

       

 割と歩きやすい道ながら時として急な坂も踏み越えて、頂上についたのは12時だった。頂上からは北側に大きく猿投の高原を一望することができた。ここで1時間の昼食と休憩。

 午後からはひたすら下り坂となる。途中の休憩場所で「オトシブミ(落とし文)」という優雅な名前の付いたゾウムシ科の昆虫の揺籃について大変興味深い講義を聴いた。

 新緑の木の葉が、2センチほどの大きさで筒状に丸められているのがあちこちに落ちている。平安時代から桃山時代頃まで流行った、恋文や落首などをしたためた巻紙に似ていると言うことでその名が付いた体長8ミリ程度の昆虫である。 自分の体の10倍にも匹敵する葉っぱを口で針のように刺して切り取り、真ん中から折り曲げて卵を産み付け、くるくると丸める。まさに巻物のような揺籃の中で卵は幼虫に孵(かえ)り、自分を包んでいた葉っぱを食べて育つのだそうだ。

 自然の不思議さばかりでなく、虫の行動を興味津々、一心に観察している北岡さんの少年のような心がとても楽しかった。

 午後3時過ぎに舗装道路に出、待っていたマイクロバスに乗り込み、4時には解散。
 
 森林の三態(手入れのされていない人工林、適度に手入れされている健康な人工林、自然な林)を体験し、改めて人工林伐採の必要性を強く感じた。

 また、講師から豊かな自然の知識だけでなく、おもしろさも味わえて、本当に楽しい時間を持つことができた。第2回以降も楽しみである。                            (INA)






 「矢作川源流の森を歩こう」体験記   

第2回 弁慶杉とアライダシ・ブナ原生林   H21年5月27(水)

 晴天の朝。7時50分集合、豊田市のマイクロバスに乗り込む。
 今回は岐阜県恵那市上矢作地区まで、およそ1時間半。

 恵那山林道の一つ暗井沢林道でバスを降り、まずは大船神社に登る。
 登山道には樹齢200年は超えると思われるスギが随所に見える。ここは神域なので皆伐していない手つかずの自然である。周りは植林のため全て伐り倒され、若いスギやヒノキの単層林になっている。そこから動植物が逃げ込んできて豊かな人工林を形成している。

 5分ほど登ったところに大船神社が建っている。かつては山岳仏教の一大聖地で30を超える建造物があったそうだ。人家から相当離れた標高800メートルを超える山奥に創建され、1300年ほど経過しているとは思えない。戦火にも遭ったらしいが、守る人々の信仰心の篤さに驚嘆する。

 
 境内の大スギにはヤシャビシャクという着生植物が生えており、「これがあるだけで200年は経過していることがわかる」と講師の北岡さんから説明を受ける。


 さらに奥に進むと、今日の目的の一つ「弁慶杉」が見えてきた。
 幹周り13.6m、樹高(上部が折れる以前は)40mという巨体は遠目からも大きく思われたが、近づくにつれてその大きさに圧倒される。周りには根を傷めないための配慮で柵が設けられ、幹にはご神木の意味かしめ縄も取り付けられている。「弁慶杉」とは、神社開びゃく者の高弟から名付けられたとか、義経の家来弁慶の手植えから、とも言われている。
 確かに後世に残すべき遺産なのだろう。


 元の林道に戻り、バスで大船牧場に。
 牧場を通るときにキツネが横切っていった。夏毛になっているため黒色だったが、キツネ色になるのは冬だと言うことを初めて知った。

 昼食後、いよいよアライダシ(洗出)自然観察教育林に入る。
 最初は見慣れたヒノキの人工林であったが、入り口からは全くの自然林となる。単層林と複層林の違いは見た目にもくっきりと分かるほどだ。
 まず出迎えてくれたのは清らかに澄んだ池で、モリアオガエルが生息しているそうだ。

 この森では、ダケカンバ、ミズナラ、ミズメ、ヒノキ、サワラ、ブナなどが生え、随所に200年を超える巨木が数多く見られる。自然の状態で森が生息しているわけで、太陽の光を受けようと上へ上へと木々が競うように成長している。そのため下草はクマイザサのみがびっしりと生えていた。

 その他、今回の行程で学んだこと。
1.カツラの落ち葉は万葉集ではカイズ(香出)と呼ばれているほど匂いがよいこと 
2.トチノキの花は生クリームのにおいがすること
3.ウスゲクロモジの小枝を折ってみるとレモンの香りがすること
4.ヤブムラサキの葉は大変柔らかく、肌触りがよい 「まるでビロードのようだ」と北岡さんがほっぺたにこすりつけてうっとりしている顔が幼児のようだった
5.最大の収穫はギンリョウソウ(銀竜草)という実に面妖な植物を知ったことである。
 身の丈8cmほどであり、葉緑素を持たない全身真っ白の植物で、花も白いが中心に紫色のメシベとその周りに黄色いオシベが取り囲んでいる。別名ユウレイタケというのも絶妙な名付けである。目の前にあったのは2、3輪であったが、これが薄暗い湿った道一面に生えていれば確かに一瞬ぎょっとするような景観だろうと思われる。自然の中には想像もつかないようなものが生きている、その不思議さに改めて驚嘆した。

 好天であったのが、一時的に雷が鳴り雨も降ってきた。大きなトチノキの下に避難したためほとんど雨は落ちてこない。こんなところにも木の力が見て取れる。
「雨を地面に直接流さず一時的に葉に貯め、雫として落とすことによって地面に吸収しやすい効果を生む」という説明に納得する。

 また、「古来日本ではブナ帯文化と照葉樹林文化がせめぎ合っていた」と、日本の文化を植物から見ている北岡さんの見識には、たいへん興味深いものがあった。           (INA)